2005年4月2日土曜日

先輩の声(社会人編 平成17年)

金蘭千里高等学校中学校を卒業し、実社会の各方面で活躍している先輩から、在校生そして未来の金蘭千里生へ2005年に送っていただいた、激励の言葉を紹介します。(リニューアル前のホームページに掲載されていたものです)

激励のお言葉を下さった先輩方

船越健裕氏からのメッセージ

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皆さん、こんにちわ。第17期卒業生の船越健裕と申します。金蘭千里学園創設と新校舎の完成おめでとうございます。私の中学3年生の時の担任でいらっしゃった辻本理事長・校長先生にご依頼いただきましたので、僭越ですが、在校生の皆様に一言メッセージをお送りしたいと思います。
私が卒業してから、早いものでもう20年の月日が立ちました。時には20分テストの勉強をしながら、また、サッカー部に所属していた私は、時には坂道を走りながら、北摂の美しい学舎に通った日々が、昨日のように感じます。
私は、大学を卒業後、外務省に入省し、これまで主に日米関係や、安全保障政策の仕事に携わってきました。そして、昨年の夏には、アメリカの首都ワシントンでの3年間の勤務を終え、帰国しました。私のこれまで16年間の外務省での仕事の中でも、金蘭千里で学んだことは、大いに役に立ってきました。
第一に、私に、国際政治に携わる仕事がしたい、日本と外国との関係を扱う仕事がしたいという動機を与えてくれたのは、辻本先生の政治経済の授業でした。皆さんも、日々の授業の中で、心が動く分野があれば、きっと将来の仕事を選ぶうえでの大きなヒントになると思います。
第二に、英語です。金蘭千里は英語教育を重視しています。日本の繁栄は、国際社会とのよい関係があってこそです。また、英語は国際語として、皆さんのこれからの人生の幅を大いに広げるでしょう。私は大学ではあまり英語を勉強しませんでした。このことはあとで後悔するのですが、外務省に入ってすぐアメリカのプリンストン大学に留学し、初めて外国で暮らした時に、私を支えてくれたのは金蘭千里の英語だったのです。
第三に、金蘭千里で、学ぶという習慣をつけていただいたことは、私の人生において貴重なことでした。金蘭千里のカリキュラムは、他校よりも厳しいものでしょう。しかし、それによって学んだことは、それだけ皆さんの血となり肉となっていくのです。私が留学したプリンストン大学のカリキュラムもそれは厳しいものでした。しかし、厳しいカリキュラムは後で、皆さんの大きな自信となると思います。
最後に、私が金蘭千里で得た最も大切なものは友達です。私の結婚式の際にも、多くの友人が来てくれたし、アメリカ留学中に遊びにきてくれた友人もいました。また、医療の面で助けてくれた友人もいたし、卒業後20年を経て東京で一緒に飲む友人もいます。
皆さんが、金蘭千里で充実した毎日を送られることを期待しています。
外務省大臣官房総務課主席事務官
船越健裕

町田徹氏からのメッセージ

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あなたは、将来に夢を持っていますか?まさか、しらけてはいないでしょうね。若い人の可能性は無限大です。小泉純一郎氏のような内閣総理大臣だって、堀江貴文氏のような起業家だって、あるいは、シュバイツアーのような医者だって、何にでもなりたいと思い、目指す権利を、あなたは持っているのです。そして、今、あなたが優秀な生徒の集まる金蘭千里に在籍しており、切磋琢磨する機会に恵まれているということは、同世代の人たちの中で大変なアドバンテージだということをよく自覚して下さい。このアドバンテージを活かさない手はないのです。
偉そうなことを言っている私は、経済ジャーナリスト&ノンフィクション作家の町田徹(まちだてつ)と言います。1978年に卒業した11期生です。新聞のワシントン特派員をしていた頃は、ホワイトハウス記者クラブに所属し、クリントン前アメリカ大統領を夕食会に招いたこともあります。中曽根、橋本、小渕といった歴代首相に取材したこともあるし、竹中平蔵さんは学者時代に彼の米通信政策の誤った理解を直接訂正してさしあげたことだってあります。昨年からは独立して、フリーランスで活動しており、今月(2005年11月)は、2冊目の単行本『日本郵政 解き放たれた巨人』(日本経済新聞社刊)を上梓します。
ですが、金蘭時代の私は、金蘭の基準で言えば、文句なく、大変な劣等生でした。生まれつき、私は天邪鬼(あまのじゃく)なのです。一生懸命勉強することを「ガリ勉」と言いますが、私から見れば、金蘭の同級生の多くは「ガリ勉」でした。当時の私の基準で言えば、ガリ勉はとても格好の悪いことであり、私は、そんな格好の悪いことはしたくないと思っていました。逆に、学業以外のことにばかり精を出した時期がありました。しかし、こんなことをしていては、成績が下がるのは当たり前で、20分テストでクラスのワースト5に入り、サッカーの部活への参加を禁じられたこともありました。
ただ、そんな私ですが、将来に漠然とした夢を持っていました。ジャーナリストになりたいという夢です。きっかけになったのは、私が中学・高校の頃の二人のジャーナリストの活躍です。一人は、立花隆さんという人で、田中角栄首相(当時)の不透明な金脈問題を暴き退陣に追い込みました。もう一人は、ボブ・ウッドワードというワシントンポストの著名記者で、ニクソン大統領(同)の不正な選挙工作を白日の下にさらし、この大統領を辞任に追い込んだのです。天邪鬼な私は、国家権力というのも漠然と好きでなかったから、いつか二人のように、権力と戦うジャーナリストになりたいと思ったのでした。
ジャーナリストというのは、ファクツを掘り起こし、それを新聞、雑誌、テレビなどでリポートすることによって、人々に感動を与えたり、警鐘を鳴らしたりする仕事です。新聞記者時代から通算で22年も、この仕事をしていますが、いつも、やりがいを感じています。まったく後悔はありません。もちろん、人生は仕事だけではありません。ですが、兎に角、子供の頃に描いた夢を実現できて、張り合いのある毎日を送れているわけです。
そこで、あなたです。もし、あなたがまだ将来の夢を見つけていないならば、できるだけ早くそれを見つけて下さい。そして、夢を実現するために、どういう大学へ進み、どのようなことを学べばよいかという判断材料を集めて下さい。学校の勉強だけでなく、日々のニュースや身の回りのことに関心を払っていれば、そういう夢は必ず見つかります。はじめは、「格好がいい」とか「やってみたい」という程度の興味からスタートして一向に構いません。私もそうでした。夢が見えてきたら、不要な挫折を避けるために努力しましょう。それが受験勉強であっても、もう決して「ガリ勉」が格好悪いなどと思わなくなるはずです。
もし挫折しても、落ち込むことはありません。最初の夢を貫徹してもいいし、別の生き方を模索してもいいし、「やり直すのに遅いということはない」というのが人生だと私は思います。
かくいう私も挫折の連続でした。大学進学では、浪人したうえに、第一志望校には行けませんでした。大学4年の夏に交通事故に遭い、就職浪人も余儀なくされました。ですが、倍率200倍を超す新聞社の試験にはパスしたし、前述のように、記者の花形ポジションのワシントン駐在もやれたわけです。
金蘭千里の劣等生仲間たちも皆、たくましく挫折や人生の転機を乗り越えています。親の病気で進学をいったん断念して組立工をやりながら夜学を出て外資系のガス・タービン会社でエンジニアとしてバリバリやっている人、大学卒業時に司法試験を断念して大手の生命保険会社のエリート社員になった人、国立大学の農学部を卒業してから医学部に入りなおした人、親のコネで就職した会社が嫌になって米国で経営学修士(MBA)を取って転職した人、両親と兄が医者という家庭に育ちながら放送局に就職した人…。
彼らみんなが口を揃えるのは、夢を持ち、それに向かって努力することの大切さです。仮に、その夢を捨てて、転進する時も、努力した経験は必ず役立つものです。
高校2年生を対象とした先月の講演でも、私は、こういう趣旨の話をさせていただきました。高2生はもちろん、それ以外の学年の方も、私に聞きたいこと、相談したいことがあったら、電子メールを送って下さい。私のホームページ(http://www.tetsu-machida.com/)にメールのリンクがあります。
最後にもう一度、高2生に申し上げた言葉を、申し上げます。
「少年よ、大志を抱け」―。
有名なクラーク博士が言ったように、あなたも大志を持って、人生にチャレンジして下さい。

山本光昭氏からのメッセージ

*
1978年、第11期卒業生の山本光昭と申します。今日は、「私の歩んできた道」をお話ししたいと思います。
私は、中学高校時代、阪急電車で通学していたこともあり、ターミナル駅における百貨店経営や大規模劇場による演劇の大衆化など阪急の展開してきた経営哲学を勉強したり、城山三郎の「官僚たちの夏」や堺屋太一の「油断!」などを愛読したり、社会・経済の分野に強い関心がありました。そのため、進路として、文科系を選ぶべきだったかもしれませんが、実家が開業医で、当時は、医者の子が医学部に進まないと、「行かない」のではなく「行けなかった」と言われた時代であり、そう言われるのが癪に障るといった子ども的な感覚で、理科系のクラスに入り、医学部に進学することにしました。
さて、医学部医学科の学生時代ですが、解剖学や生化学等の基礎医学、内科学や外科学等の臨床医学、公衆衛生学や法医学等の社会医学など、すべてが必修であり、卒業後、国家試験に合格して、医師免許を得てから、専門を選び、さらに研鑽を積んでいくという養成方法になっています。(注:現在は、医師免許を得てから、さらに2年の臨床研修を経たのち専門を選びます。)大学入学前に専門を選ぶ、他の学部・学科と大きく異なるところです。
私は、中学高校時代から興味をもっていた社会・経済と医学・医療とを橋渡しする社会医学を将来専攻したいと思い、医学生時代には、最近テレビドラマでも有名な監察医の検視の同行や行政解剖等の補助など社会医学の一分野である法医学教室に出入りをしていましたが、最終的には生きている人を相手にする分野を選びたいと考え、公衆衛生学に進むことに決めました。しかしながら、当時出身大学の公衆衛生学教室では、人へのアプローチではなく、ラットやマウスを使った動物実験を中心にしており、人の健康に直接貢献する分野を専攻したいと考え、健康づくり活動の実践を行っている公衆衛生行政を専攻することにしました。
ところで、おそらく、皆さんが思い浮かべるお医者さんは、病院や診療所で患者さんを診ている人だと思います。これは、当然なことです。なぜならば、医師免許を取得している約95パーセントの人が病院や診療所等の医療施設に勤務しているからです。私が、選んだ分野は、医師が選ぶ専門分野のなかでは、大変珍しい分野です。
何故、役所にお医者さんが必要だと思いますか?例えば、テレビや新聞などで鳥インフルエンザ、ノロウイルス、SARSなど感染症のニュースをよく見かけると思いますが、感染症の蔓延を防ぐには、患者の隔離や消毒措置など行政としての対応が必要となり、その際に最新の科学的知見に基づく判断が必須であり、医師の役人(医系技官)が全面的に対応しています。また、社会保険診療報酬の改定など保健医療制度の見直しにあたっては、医学医術の進歩をはじめとする医療現場における動きに対する的確かつ迅速な対応が求められており、医系技官が必要とされています。
公衆衛生行政に進もうと決めたとき、まずは、地域社会における公衆衛生活動を担う地元の兵庫県庁に入ろうと考え、県庁を訪ねていったところ、当時の県庁の部長は旧厚生省からの人事交流で来ている医師の役人で、次のような助言を受けました。「将来関西が良いということで、国から県庁に移籍するのは、比較的簡単にできる。若いときは、大海を知らずして、井の中の蛙になっては駄目だ。まずは、厚生省に入りなさい。」というものでした。人との出会いは大変重要なものですが、今から思うと、このアドバイスにより、関西を離れ、東京へ行ったことは、仕事をはじめ、文化や歴史、自然、食生活など視野が大幅に広がり、大変良かったと思っています。
さて、旧厚生省に入省し、人事で、旧厚生省の各部局に加え、横浜市役所、広島県庁、茨城県庁、東京検疫所、旧環境庁、内閣府と勤務してきました。国レベルの仕事では、阪神・淡路大震を契機としたわが国の新たな災害医療体制の構築や第三者機関の創設による医療機能評価体制の構築などを担当したり、県レベルの仕事では、全国に先駆けて、エイズ日曜検査の実施や6424(64歳で24本の歯を残そう)歯の健康づくり運動の展開などを進めたり、国レベルの施策の企画立案・実施、あるいは全国初という県レベルの仕事を担い、遣り甲斐を感じてきました。
一方、若い頃、例えば、横浜市役所では、保健所という地域における第一線機関で集団予防接種や健康診査などの診療業務に明け暮れ、旧環境庁では水俣病という公害病の訴訟業務に忙殺され、こんなことをするために、公衆衛生行政を選んだのではないと思うことがしばしばありました。しかしながら、県庁で、若くして、課長や部長という管理職に就いたとき、周囲からは若造のくせにと見られがちですが、現場や実務を経験していたことにより、具体的な指示や判断をくだす際に、大変役立ちました。様々な現場や実務経験は、何事も、無駄にはならないと感じています。
医師の活躍分野には、一人一人の患者の命を救うという臨床医としての喜び、新たな知見を発見するという研究者としての醍醐味など、それぞれの面白さや遣り甲斐があります。私が感じている厚生労働省医系技官という仕事の魅力は、①多くの人の健康福祉の向上に貢献出来ること、②担当した分野について若い時から最高権威と対等の関係で仕事が出来るということ、③担当した仕事が自分の異動後も組織的に継続され発展していくことなどです。
むすびに、皆さんに、将来の道を選ぶにあたって、伝えたい私からのメッセージは、①人との出会いを大切にすること、②好きなことを見つけること、③世の中に流されないことです。
中学高校時代の恩師との出会いをはじめ、大学生、さらに社会人になると、人との出会いは、飛躍的に増えていきます。自分の進路の選択や担当している仕事の判断の際にも、人との出会いは大きな影響をもちますし、尊敬できる人との出会い・交流は、生涯の財産となりますので、人との出会いは大切にしてください。
好きなことを見つけることにより、自分が納得できる人生を目ざせます。それぞれの時代時代で人気がある企業に入社したり、流行の学問分野に進んだりしても、その企業や学問分野が30年、40年と魅力を持ち続けることは必ずしも容易なことではありません。自分が納得できる人生を生きるためには、その仕事や学問分野が「好き」であることが重要だと思います。
世の中に流されないというのは、自分の考えをしっかり持つことです。グローバル化が進展するなかで、世界標準に向けた社会システムの変革が進み、そのため企業や大学といった組織も変貌するとともに、価値観も大きく変化していきます。そのようななかで、重要なのは、幅広い視野で情報を収集し、判断していくことができる力を身につけ、世の中に流されないことです。
皆さんが夢をもち、地域社会、日本、そして世界の人々の幸せに貢献し、活躍することを心から期待して、私からのメッセージといたします。

山田恵資氏からのメッセージ

私は10期生の山田恵資(やまだ・けいすけ)です。2007年2月26日、母校で2年生の皆さんを前に講演をする機会をいただきました。1977年に高校を卒業して以来、初めての母校訪問だったので本当になつかしく思いました。
 「延々と自分史のような話しをしてもらっても、生徒には絶対に受けません。生々しい体験談をしてやってほしい」。事前に進路指導の勝部正人先生からはそのよう なご忠告をいただいていたこともあり、自分の経歴や自慢話めいたことは極力避け(と言っても威張れるような自慢話はありませんが)、記者としての体験談を中心に お話ししました。ただ、50分間という制約の中では、実際に話し切れなかったこと もありました。そこでこの場をお借りし、講演の補足も兼ねて後輩の皆さんにメッ セージをお送りします。
◇金蘭時代の2つの光景
 それは、私が中学3年時の社会科の授業でした。黒板に先生は次のような文章を記されました。
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は…」
 平和主義をうたった憲法9条の1項と2項の条文です。そして、先生はわたしたち生徒に向かって、こう問いかけられたのでした。「君らはこれ読んで、自衛隊は憲法 違反と思うか、合憲と思うか。どっちや。手を挙げてくれ」。私は躊躇せず、「憲法 違反」の方に挙手しました。今もその光景を非常によく覚えています。理由は「学校や家族といった身の回りの狭い社会のことだけでなく、国や世の中のことにもしっか りと目を向けなければいけない」と初めて自覚した瞬間だったからです。その先生は、現在校長の辻本賢先生でした。
 高校2年時には、こんなこともありました。倫理社会で授業で、ある女性の先生が、元首相の田中角栄氏が逮捕されたロッキード事件という「戦後最大のスキャンダ ル」に絡み、国会で証人喚問を受けた黒幕たちについて、どう思うかを書いて提出す るよう指示されました。
 これに対し私は「事件はとても暗い話だが、政治の裏の黒幕のような人が表に出て きて、良かった」といったことを書きました。すると、日ごろはめったに人を誉めな いその先生が珍しく「なかなか良い回答ですね」と評価してくださいました。  私自身も、もともと学校ではあまり誉められたことが無かったのですが、そのとき はちょっと誇らしい気持ちになったものでした。それはともかく、ここで紹介した2つのエピソードは、私が記者という職業を選ぶ上での原点となりました。  皆さんからは、「何のこっちゃそれは」と言われそうです。何といっても当面の関 心事はまず受験勉強でしょうから。ただ、50歳近くなった私が今、金蘭での学校生 活について思い出すことのほとんどは、受験とは直接関係のない出来事なのです。も ちろん、個人差はあるでしょうが、今はそれほど大したことではないと思える場面が、将来には大きな影響を与えるかもしれないということは、ぜひ覚えて置いてくだ さい。
◇「自分の意見」と「他者の視点」
 私は大学を卒業して以来、25年間、記者稼業を続けています。主として取材対象は日本の政治です。私としては、記者という職業を選んで本当に良かったと思ってい ます。自分で取材し、事実を報じる。あるいは、自分の考えを書く…。記者の日常の仕事は地味なものですが、それは日々、歴史を記す作業でもあるのです。
 そこで重要なことは批判精神です。つまり、世の中で起きている、一見当たり前に見えることに、疑問を持つということです。それは、自分自身で考え、しっかりとし た意見を持ち、それを表現したり、主張したりするためです。よく「事なかれ主義」に凝り固まって、自身の意見を持とうとせず、ただ流されているだけのような人がい ます。多分、世の中にはそういう人も必要なんでしょうが、数が多くなりすぎると、やはり問題です。
 それから、次に私が重要と考えるのは、自分自身や、自分が所属したり関わったり している組織・集団を客観的に見る目です。「他者の視点」で自らを省みることと言い換えても良いでしょう。言うまでも無く、完全に自分を客観化するのは絶対に不可 能です。しかし、「相手の立場から見て、自分の行動や言動がどう受け取られている か」を考えようとする姿勢は常に必要でしょう。
◇英語のこと
 英語についても触れます。時々、わたしも英語の大学入試問題を解いてみます。 30年前と同様、現実にそれほど使わない英語、いわゆる「受験英語」というものは相変わらず少なくないようです。しかし、だからと言って、受験英語と実用英語を分けて考えすぎるのも間違っています。というのは非英語圏である日本にいる限り、余ほど環境に恵まれない限り、体系立てて英語の文法を覚える努力をしなければ、しっ かりした英語力は身に着かないからです
。  私は、米国勤務時代に長女が通っていたミドル・スクール(中学)の英語の先生か ら、「日本語で書かれた英語の文法書を取り寄せて、勉強させてほしい」とアドバイ スを受けました。私たちの家族は1997年夏に渡米したのですが、当時長女は中学 1年。英語を習いたてで、英語の基礎もほとんど分かっていませんでした。まだ、 13歳そこそこと言っても、一つの言語を日常生活だけでモノにするには既に「若い」とは言えない年齢です。
 となれば、英語の文法を日本語という母語(=母国語というのは正確ではない)の手を借りて学習する必要があるということです。その後、長女はずっと米国に残り、 大学を卒業。そのまま、大学院に上がりました。
 ところで私の大学時代の英語の先生である國弘正雄先生は、外国語学習にとって大 事なのは「只管(ひたすら)音読」することである、とずっと以前から提唱されてい ます。中学の英語の教科書を何度も何度も音読して、英語の語調を頭に叩き込むとい うことです。歌と同じですね。國弘先生は「同時通訳の草分け」の一人で、皆さんの ご両親の世代ならその名前をご存知の方は多いはずです。その國弘先生と昨年、久し ぶりにお会いしました。先生は70歳代の後半に入ってますますお元気でしたが、日 本の英語教育の現場についてこう嘆いておられました。「英語は流暢にしゃべること よりも、まず中身が大事だ。たまに英語サークルをのぞくが、その話している内容が あまりに貧弱だ」。
 かく言う私も「英語学習者の端くれ」を自任し、通勤の際には英語の書物を読むよ うにしています。もちろん出来るだけ音読も続けています。その甲斐あってか、米国から帰国して6年近くが経過しますが、英語力は帰国直前よりも向上しているようで す。
◇外国を体験しよう
 これからの時代はますます日本だけでなく、世界を相手にする必要があるでしょ う。従って、皆さんが晴れて日本の大学に入学しても、それだけで満足しているわけ には行きません。特に若いうちに外国を体験することは大切です。金蘭千里高校では10年前から、、夏休みにイギリスのパブリックスクールで過ごすプログラムがあり ますが、貴重な体験をする絶好の機会ですね。 言葉はもちろん、文化、風習、習 慣、社会的なルールが大きく異なる外国に行くと、とても大きなショックを受けるか もしれません。まだ、日本しか知らない人は、イギリスに限らず、米国でも中国で も、エジプトでもタンザニアでもどこでも一度、早いうちに外国に行ってみてはいか がでしょうか。そこで自分の価値観と違う社会を体験すれば、きっと大きな糧になる と思います。 
 私自身も大学4年の時にフィリピンの首都マニラで一年間、留学生活を送りまし た。当時、フィリピンはマルコス大統領の独裁政権下にあり、新聞、テレビの言論活 動は厳しく統制されていました。ある日、通っていた大学の教授がマルコス批判の論 文を書いたことを理由に突然、警察に逮捕されました。これは「言論の自由」とは何かを考えさせてくれました。その時の緊迫感は今もリアルによみがえります。
 夢をしっかり持ちつつ、現実も直視する―。皆さんのこれからの人生では、夢と現 実の狭間にあって、どの辺で折り合いを着けるのか、それとも妥協せずに頑張るか に、しばしば悩むことになるでしょう。夢だけを追い掛けていてもなかなか、現実が ついて来ない。一方で、現実に振り回されるだけですっかり夢を無くしてしまうの は、もったいないことです。いずれにせよ、くれぐれも思いつめ過ぎないようにして ください。私の場合は阪神タイガースの応援や吉本新喜劇、落語といったお笑い系、ウォーキングなどで気を紛らわせます。
 私の亡くなった父親は化学者でしたが、「新しいアイデアは実験器具を洗っている最中に急にひらめくことがある」とよく言っていました。私も自宅で原稿を書いてい て行き詰まったときは、散歩に出かけます。すると突然、新しい発想が出てくること があります。
 さて長くなりました。今回はこれで終わります。私は「年を取っても、古い考えに とらわれず、柔軟な発想を忘れず、同時に批判精神を大いに磨きたい」と考えていま す。そのためにも、いつの日か、社会に出て活躍する皆さんから、いろいろなお話し が聞ける日を楽しみにしています。では、また。
 山田恵資 1958年6月生まれ。71年から6年間、金蘭千里中学・高校に在 学。77年上智大学文学部に入学。82年時事通信社入社。福岡、大阪での勤務を経て、91年から政治部に在籍。4年間のワシントン支局勤務の後、政治部デスク。現 在は解説委員。

先輩の声(学生編 平成17年~平成20年)

以下に掲載するのは、平成17(2005)年から平成20(2008)年の卒業生の声(リニューアル前のホームページに掲載していたもの)です。

平成20年卒業生   男子 京都大学理学部

 僕が中高六年間、 どのような生活をしていたかを話し、 失敗から得たものを伝えたいと思います。 少しでも皆さんの参考になればうれしいです。
 僕は元々、 家から近くて小学校の頃にやっていたサッカーができるという理由で本校を選びました。 入学当初は、 重い革カバンに耐えられず、 親に車で送り迎えしてもらうことがしばしばありました。 また、 勉強面では、 中一と中二の間は、 最初はなかなか慣れなかった二十分テストの勉強だけしかやっていませんでした。 それでもこのテストをしっかりやっていたおかげで、 後々の勉強に活きてきたように思います。 僕の場合、 国語の読解問題が苦手でしたが、 英語の実力は初めのうちから安定していたので、 良い成績を維持できました。 しかし、 中二の秋頃にアレルギーがひどくなり、 一時期、 勉強どころではありませんでしたが、 それでも頑張って学校に通い続けました。
 そして、 僕が真剣に勉強し始めたのは、 中三の頃からでした。 ちょうど勉強内容も高校の範囲に変わり、 良いスタートを切れたように思います。 このまま順調に受験まで行くと思っていましたが、 高二の中頃に、 ストレスにより体に様々な症状が出始め、 勉強があまり手につかない状態が数ヶ月間もの間続きました。 それでも最後まで地道に勉強し続けたからこそ、 栄冠を勝ち取ることができたと思います。 ちなみに、 僕は塾や予備校には中高六年間の間、 通いませんでした。 なぜなら、 本校には丁寧に指導して下さる先生方がいたからです。 担任の先生を始め、 僕が困っているときに適切なアドバイスをして下さった先生方には感謝してもしきれません。
 最後に、 僕が在校生の皆さんに伝えたいことは、 逆境に強くなれということです。 人生山あり谷ありで、 誰でも辛くて苦しいときがあります。 そんなときには、 絶対に焦らず前向きな姿勢で、 自分が這い上がってくるのを待っていて下さい。 必ずいつか立ち直れるはずです。 そして、 自分の正しいと信じることを少しくらい周りに反対されても貫き通せる人になって下さい。


 平成20年卒業生 男子 大阪大学法学部

 大学受験を終えた感想は受験の問題は特別なものではないということです。 どんな難しい問題も基礎ができていないと解けません。 金蘭千里は二十分テストがあるのでこまめに復習をする習慣がつきました。 このおかげで、 基礎力をしっかりつけることができ、 更には応用力もついていきました。 まず学校での勉強をしっかりすることが合格への近道だと思います。 実際僕は塾や通信教育などを利用しませんでした。 友達の多くが塾に行くと聞くと、 自分も行った方が良いかと思ったこともありましたが、 学校での勉強が中途半端になってしまうのは避けた方が良いと思い、 学校で与えられたことをすることにしました。 また、 高校生になると多く受ける模試は受験勉強をする上でとても役に立ちました。 模試を受けた後に返ってくる成績には、 自分の弱点がはっきり表われているので、 それを復習することに意味があります。 決して受けっぱなしにしないようにして下さい。 これは失敗談ですが、 センター試験本番の数Ⅰ・A受験の際に、 数Ⅰ・Aではなく数Ⅰの方だけを選択していて途中まで解いていました。 信じられないようなミスも緊張している本番では起こりえるかもしれません。 皆さんはこのようなミスをしないように気をつけて下さい。 息抜きは非常に大事です。 友達と思い切り遊んでストレスをためないように気分転換して下さい。 金蘭千里に通って良かったと思えるよう志願校に向けて頑張って下さい。


 平成20年度卒業生 女子 奈良県立医科大学医学部医学科

 大学受験を終えた今、 いずれ受験を迎える皆さんに伝えたい事をいくつか書いてみたいと思います。 皆さんの参考になれば幸いです。
 まず、 毎日の二十分テストを大切にする事です。 この二十分テストは授業の復習にもなるし、 何より毎日勉強する習慣が身につくというメリットがあります。 また、 二十分テストはテスト範囲の最重要箇所をまとめて出題してくれています。 期末テスト前などに解き直したりして活用していましたが、 とても有効だったと思います。
 次に、 自分に合った勉強法を確立して下さい。 私は六年間塾には全く通いませんでした。 学校の授業を基盤として自分のペースで勉強を進めるという勉強法が私には合っていたのだと思います。 勉強法は人それぞれなので、 もちろん塾を活用してみても良いと思います。 体力的、 精神的に自分が続けられるような勉強法を見つける事が大切です。
 そして次に睡眠は十分に取り体を大事にして下さい。 夜遅くまで勉強して次の日の学習に支障が出てしまうと勉強の効率も悪くなるし、 体を壊してしまうと意味がありません。 体調管理は万全にして下さい。
 最後に、 どんなものでもいいから夢を持って下さい。 夢や目標があれば、 勉強のやる気が断然違います。 私も受験勉強は本当に苦しかったですが、 自分の夢のためだと思うと自然とやる気が出ました。
 最後まで諦めず努力し続ける事が合格につながります。 頑張って下さい。


 平成19年卒業生 男子生徒 大阪大学医学部医学科

 金蘭千里での生活を有意義に過ごすために必要だと感じたことをあげれば3つある。後輩のみんなにこれを伝えたいと思う。
 1つめは、あの金蘭千里のシンボルともいえる20分テスト。みんなの不平、不満は多いけれど、これを疎かにしない方がいい。 中1、中2の20分テストは特に大切だ。この時期に基礎を固め、毎日勉強する習慣を身につければ、 後々の学校生活がより楽になると思う。もちろん高校からの努力次第で成績は伸びるが、早い時期から勉強に慣れておくことは大きなアドバンテージになると思う。先生方も徹底して20分テストを行ってくれる。 学校を休んでテストを受けられなかった生徒には別の日にテストを受けさせるといった徹底ぶり(僕は皆勤だったので関係なかったが・・・)。また、テストの結果があまり芳しくなかった生徒には追試を行う先生もいらっしゃるので、否が応でも勉強・復習せざるをえない環境にいることになる。 『継続は力なり』というように日々の努力が合格につながるといえると思う。
 2つめは、クラブ。僕はサッカー部に入部して良かったと思う。日々のそこそこ厳しい練習を仲間と励まし合いながらこなしていき、 人間としても成長できた。また運動することで適度にストレスを発散でき、ストレスで勉強に支障が出ることもなかった。 授業中眠くなることもあったが今ではそれもいい思い出となっている。今思えば、高2の時がクラブと勉強の両立で一番しんどかった。しかし、それを経験していたから高3の勉強中心の生活に移ってからも、体力面で心配することはなかったと思う。 1つ心残りなのが大会で結果を残せなかったこと。サッカー部後輩にはがんばってもらいたい。
 3つめはメリハリをつけること。ダラダラと勉強していても疲れるだけ。たまには友達と遊べばいい。大事なのは遊んだ後だ。 「遊んだ後は勉強」というようにけじめをつけることが大切だと思う。また、高2までの生活と高3の生活は大きく違ので、うまく対応してほしい。僕の場合、高3になったらすぐに高2までの生活に別れを告げ、パッと新しい生活に切り替えられたので、 他の人よりも早く勉強に集中できたのではないかと思う。
 この3つは、あくまで僕が感じたことである。みんなにはみんなの生活がある。金蘭千里に来たからには、それぞれが無駄な生活を送らず充実した毎日をおくって欲しい。健闘を祈ります!


 H19年卒業生 女子 大阪大学 医学部医学科

 私は今春、幸運にも希望する大学に入学できることになりました。さっそくですが、私が金蘭千里で過ごした6年間を振り返って、これから金蘭千里で過ごしていくみなさんに伝えたいことを述べてみます。
 まず、金蘭千里に入学することを検討されている方々へ。金蘭千里の大きな特徴として、高校受験の心配なく、6年間大学進学に照準を合わせて過ごせるということがあります。私にとって、これは大変ありがたいことでした。中学の1、2年で基礎固めをしっかりやれば、中学の3年、高校の1年では、少し余裕が出てくるので、趣味に打ち込んだり、クラブ活動に精を出したりと、充実した生活を送ることができる と思います。また、高校2、3年にもなると、周りの友人たちが本格的に受験勉強を始めるので、自然な流れで受験生になれます。人それぞれの金蘭千里ライフがあると思いますが、私はざっとこんな感じでした。 学校生活について補足しますと…1学年の構成人数が少ないので、卒業する頃にはほとんどの人の名前と顔が覚えられます。無関心でなければ…。少なくとも私の学年は概して、仲が良くて、良い雰囲気でした。また、トイレ(もちろん校舎全体も)の美しさも、誇ってよいと思います。
 次に、金蘭千里のバレーボール部に入部しようかとちょっとでも考えているすべての方へ。私は中学、高校とバレーボール部で活動していました。勉強に支障をきたさないように配慮された練習スケジュール になっているので、計画的に勉強に取り組めば、けしてマイナスになることはないと思います。むしろ、私の場合、この経験こそが、私自身を大きく成長させたと感じています。汗や涙を分かち合った友は私の一生の宝です。また、一人でトレーニングするのと違い、かなりのコミュニケーション能力を要します。私は、喋るのが下手で、大きな声を出すのも苦手でした。入部したての頃はしんどかったですよ。また、先輩や後輩との意思疎通も、始めは手探りでした。そこまで十数年生きてきて手に入れられなかったスキルを急に身につけようというのですから大変で当たり前ですが。ただ、これは今後生きていく上で必ず必要なものであり、今ではその環境をとてもありがたく思っています。私が得たもう一つのものは、広く多角的な視野です。少なくとも、そういう視点に立とうと思えるようになりました。円滑に物事を進めるためには、全体を見渡す努力が大切なのではないかと気づかされました。ここまで読まれた方は、私の部活動への思い入れを分かってくださったかもしれません。実のところ私は、高校の2、3年になっても、 4月末の引退まで、バレーボールを最優先にしてやっていました。とはいえ、高2に上がるときには受験に対する漠然とした不安から、やめようかとも思いました。だからこそ、受験を前にして、 自分が失敗すれば後輩たちが不安に思って部活動を続けにくくなるのではないかと、内心冷や冷やしていました。けれども逆に、私の吉報を心待ち?にしてくれている後輩がいたので、その期待に応えようと、いっそう頑張ることができました。今、私はバレーボール部の一員であって、本当に良かったと思っています。
 では、お勉強の話に戻ります。もし参考になればうれしいです。20分テストはほぼ毎朝ありますが、めげずに勉強してください。毎日の積み重ねは大事です。テスト範囲が授業範囲のすべてを網羅している ことが多いと思うので、半強制的に復習できる絶好の機会です。この機会を逃すと、更なる努力を要するので、後で頑張りたくない人ほど、このペースに乗っかって勉強するのがよいと思います。私はめんどくさがりなので、 中学のうちは、宿題以外はこれだけしかしていなかったような気がします。こんなことを告白しても仕方ないですが…
 私の受験勉強を少しだけご紹介します。志望校は、高1の時に決め、いわゆる、一本で(他校を受験せず)受けました。ちょっと無謀かと思ったこともありますが、私の性格にはよく合ったプランでした。 総合大学なので、比較的クセの少ない問題の出題が予想されたため、標準的な問題演習を行い、傾向対策にはあまり多くの時間を割かずにすみました。なんといっても、センター試験は大事です。 少しでも気持ち(点数)に余裕があると、どうしても現役生の不安材料になりやすいと思われる二次試験に、精神面で大変有利です。ですから、高3の冬休みからは、いったん二次対策を休んで、ひたすらマーク式の演習をしました。センター試験の範囲については、二次型の演習もしましたが。センターが終われば、後はグンと科目数が減り、ここからが現役生の伸びどころだとよく言われます。五分五分あるいはそれ以上で戦えると確信するまで頑張ってください。この1ヶ月は、卒業式もあったりしてバタバタしますが、意外と長いです。以上が概略ですが、私の場合、英語が早い時期から安定していたので、その分余裕がありました。伸ばせる教科は、早めに伸ばしておきましょう、というのが、 高2くらいまでの方へのアドバイスです。高3生は、1月2月を見据えて計画的に取り組むのが大事だと思います。
 また、これは金蘭千里オリジナルではないですが、私が思うには、各教科に、信頼できる先生を見つけておくことが、受験というハードルを前にしたとき、落ち着いて構えられる第一歩だと思います。そんな先生と出会えたら、その機会を逃さずに食らいついて得意科目にしてください。私は一生懸命教えてくださる先生に出会えました。金蘭千里でそんな先生との出会いがたくさんあることを祈っています。ちなみに、予備校も、そんな基準で選べば、高い学習効果が得られるかもしれません。
 改めて振り返ってみると、私は恵まれた中学、高校生活を送れました。在校生、未来の新入生のみなさん、それぞれの目標に向かって頑張ってください。精一杯やれば、きっと、結果は納得のいくものになると思います。私も、まだまだ始まったばかりの、次の6年間を頑張ります。


 H18年卒業生 女子 東京大学 文科Ⅰ類

 私が、東京大学文科Ⅰ類に合格することができたのは、金蘭千里での学校生活をきちんと送ったからだと思います。
 まず授業ですが、だいたいまじめに受けました。勿論、受験直前などは、気がついたら寝てしまっていたなどということもありましたが、内職をするなどということは良心の呵責から不可能でした。また、体育の授業などもまじめに受けました。このことによって受験に耐えられる体力が身についたと思います。また、授業日数が多かったことによって、受験勉強による少々の時間の拘束を苦に思わずに過ごすことができたのではないかと思います。
 金蘭千里の特徴でもある20分テストにもきちんと取り組みました。自宅が遠かったこともあり、夜は11時には寝て、朝6時には起き、登校時の電車の中でゆっくり勉強する習慣がつきました。その結果、勉強タイプが自然に朝方となりました。私の場合、20分テストがなかったら毎日勉強する癖はつかなかったかもしれません。
 また、テスト結果については(これは3教科テストなどについても言えることですが)ひとつひとつのテストの結果で一喜一憂せずに取り組むように心がけました。
 この学校は少人数なので、先生方も細やかに指導していただき感謝しています。特に、現代文の記述問題の添削をしていただいたことで、ずいぶんと力がついたように思います。また、6年間友人のメンバーが同じなので、勉強面でも他の面でも協力関係を築くことができました。
 学校行事なども楽しむようにしてきました。特に、キャンプは勉強のことを忘れられるよい機会になりました。
 以上述べてきたように、私は金蘭千里の教育システムのおかげで、大手予備校などに通わずに合格を勝ち得ることができました。同じ授業料なら寝ているより、聞いている方が、保護者が負担してくれたお金を有効活用していることになると思います。私はこの6年間、授業料を他人よりも有効活用してきたつもりです。
 さて、進路の選択にあたって、私は自分の教科適性を考えました。私は数学が苦手だったので、苦手な数学のため理系で中位にとどまるよりは、文系の上位をめざす方が価値あると考えたのです(もちろん、実際大学に入学してみると、文系でも理数系の知識を求められる場合も少なくないので、理系科目の学習にも取り組んでおいてよかったなあと思うことも少なくありません)。
 そして、進路選択後はひたすら勉強し続けました。勉強というものは、いくらし過ぎてもし足りないものだと今でも思います。ただし、長時間勉強したからと言って自己満足に浸ってはいけないと思います。私は常に自分の勉強のプロセスや模試などの結果を見つめるよう心がけました。そして自分をおだててくれる人と、自分に現実を突きつけてくれる人を見つけ、アドバイスをもらうようにしました(この両者のバランスは重要だと思います)。
 受験そのものについてですが、私はセンター試験を甘く見すぎて失敗したので、センター試験にはきちんと取り組むべきだと思いました。私の場合、マーク模試との相性は抜群でしたが、過去問との相性は最悪でした。やはり、過去問にきちんと取り組むことが必要だと思います。また、2次試験の過去問題については、特に、社会・数学は模範解答をよく見て写し、徹底的にパターンを覚えました。その結果、受験直前の2月になっても、自分でも実力が上がっていくのが分かりました。
 また、私は、東京大学のなかでも文科Ⅰ類、Ⅱ類のどちらに出願するかについて、最後まで悩みましたが、思い切って文科Ⅰ類に出願しました。そして合格最低点で合格しました。文科Ⅱ類に出願してしまっていたら、合格してもきっと後悔していたと思うので、受験には時には思い切りも必要だと改めて感じています。
 最後に後輩の方に言っておきたいことがあります。
 金蘭千里は特色のある学校ですが、「校則が厳しい」などと言っている間は大学に合格する可能性は低いのではないかと思います。なぜなら忍耐力がなければ、受験は乗り切れないからです。そのためにはまず(最初は演技でもいいから)学校の方針に従って穏やかに学校生活を送るべきだと思います。意味のない反抗は無駄なエネルギーを使うと思うからです。まじめに学校生活を送っていれば先生の対応も違うし、おのずと成績も向上してくるのではないでしょうか。
 金蘭千里の数々の特色は、大学に進学してから、金蘭千里を知らない友人に対する格好の持ちネタになるのも事実です。後で、色々話せるくらい、学校生活に取り組んでみるのもよいかと、私は思います。


 H18年卒業生 女子 島根大学医学部医学科

 みなさんこんにちは。私は、今年の一月まで皆さんと同じように制服を着てベレー帽をかぶり、金蘭千里に通っていましたが、この春はれて島根大学の医学部に合格することができました。私が「合格」という二文字を手にするまでの体験が、少しでも皆さんの今後の学習の参考になればと思いこの合格体験記を書かせていただきます。
 私が医師という職業を志したのは小学生のときでした。しかし、中学校入学当初は、具体的にどれ位勉強すればよいか、全く分かっていなかったように思います。中学一、二  年生の時は、大学受験はまだまだ先という意識が強く、家でする勉強といえば20分テストの勉強と、宿題だけでした。ただ、小学校時代、算数が大の苦手でかなり苦しんだので中高では絶対に数学を得意科目にする、という目標を持っていたため数学は特に真剣にやっていました。中学三年生になって初めての面談で、当時担任だった先生から、医学部に行きたいのなら、私立であっても学年の20番以内にいなければ難しいと言われ、当時50番以内にもいなかった私はかなりの衝撃を受け、これがきっかけでようやく大学受験というものを明確に意識し始めたように思います。
 この時以来、私の勉強量は格段に多くなりました。毎日の20分テストの勉強はもちろんですが、それに加えて英語・数学の予習を徹底させました。土曜日、日曜日は主に数学の勉強に当て、次の週に授業で扱う問題の予習をしました。分からない問題でも絶対に答えを見ず、解答を思いつくまで何時間でも考え続けることもしばしばでした。このことによって考える習慣が身に付き、後の学習に大きな影響を与えたと思います。本格的な受験勉強が始まってからでは時間が無く、なかなか一つの問題にじっくり取り組むことが出来ないので時間がある時期に考える習慣を身に付けておくことが重要だと思います。
 高校に入っても基本的な勉強スタイルはほとんど変えず、夏休みや冬休みには宿題をこなすだけでなく、休み前までの学習の総復習をするようにしました。高校二年生になると、クラスが理系と文系に別れ、自分の希望する進路に沿った勉強が始まります。特に高二の夏は大学受験に向けて、最も重要な時期であると思います。英語は構文、単語、熟語の復習と長文読解に力を入れました。長文を読む際にはなるべく辞書を使わずに読むようにしました。このことによって、分からない単語でも文脈から意味を予想する力がつきました。又、数学は白紙に解答を丁寧に書くようにし、一点でも多く点数の取れる解答を作ることを意識しました。どうしてもできなかった問題にはチェックをしておき、後日自力でできるまで何度も解くようにしました。平日は20分テストの勉強と予習に力をいれ、長い休みの時はほぼ毎日、一日中勉強をしていたように思います。
 このようにして、高三の夏前までは数学と英語に比重をかけていましたが徐々に理科と社会を中心とした勉強に変えていきました。高三の夏は主に理科(化学と生物)の総復習をし、とにかく問題集を解きました。一冊の問題集を一通り解き終わったら、分からなかった問題だけをピックアップして、もう一度解きなおすようにしました。またこの時期に志望校の赤本を見て、大まかに傾向を掴んでおくと夏以降の勉強がしやすくなると思います。夏休みは綿密に計画を立て、毎日最低でも14時間は集中して勉強するようにしました。11月頃になると、二次型の勉強からセンター試験の勉強に切り替えていきました。センター試験の過去問や予想問題をとにかく多く解き、間違えた所はもう一度参考書等で確認するという作業を繰り返していきました。私は自分のペースを崩したくなかったため、(夏休みもですが)塾の講習等には全く行きませんでした。
 センター試験終了後は、二次型の勉強に戻し、赤本をひたすら解いて実際の入試の感覚をつかむようにしました。おかげで本番でもあまり緊張せず、普段どおりに受験することができたように思います。前期試験終了後は「人事を尽くして天命を待つ」という姿勢で合格発表までの期間を過ごしていました。インターネット上で合格発表をみて自分の受験番号を見つけた時には、嬉しくて涙が出ました。今でもその時のことを鮮明に覚えていますし、忘れることはないと思います。
 最後に皆さんに、学校生活においてのアドバイスをしたいと思います。まず、金蘭千里の特徴のひとつである20分テストを、各教科の復習におおいに活用してください。毎回の20分テストの勉強を真剣にやればかなりの力がつくと思います。次に、毎日休むことなく学校に来て、授業中は、時間内に吸収できることはすべて吸収するという姿勢で臨み、休み時間はおおいに友だちといろいろな話をして欲しいと思います。
 さて、ここまで皆さんの先輩として合格体験記を書いてきた私も、大学では新入生です。また六年後には、医師国家試験を目指して再び受験生となります。大学受験の合格を決してゴールだと思うことなく、金蘭千里で学んだ様々なことを活かしてこれからの大学生活を送っていきたいと思います。これまで私を支えてくれた家族、友人、そして学習面において様々なアドバイスをしてくださった金蘭千里の先生方にこの場をお借りして、心からお礼を申し上げたいと思います。六年間本当にありがとうございました。在校生の皆さん、皆さんがそれぞれの目標を持ち、その目標に向かって努力し、合格という栄冠を手にすることを心から願っています。


 平成18年卒業生 男子 関西大学文学部 進学 

 今年、僕は関西大学の文学部・法学部に合格することができました。この合格は金蘭千里の先生の素晴らしいご指導と自分で目標を設定し努力したことから勝ち得たものだと思っています。
 僕が金蘭千里中学校に入学したのは、2000年の春でした。正直な所、中学一年生から二年生の中頃までは、学校の校風になじむことが出来ずに、いつも地元の中学に転校したいなあと思っていました。家庭でも両親にそんな事ばかり言っていたので、今思うとすごく迷惑をかけてしまったなあと思います。当時、僕や僕の友人達の評判は良くなくて、色々と多くの先生方に迷惑がかかったことでしょう。生活指導も厳しくて、それが、僕が一番この学校になじめずにいた理由かもしれません。
 しかし、時が経つにつれてそのような思いは消え去り、学校生活を楽しめるようになりました。そして、高校2年生の3学期頃に、周りの皆は本格的に受験に向かう姿勢になり始めていました。その頃まで、僕は受験に向かって何か準備をしたりすることがなかったし、勉強も全然しないままでいました。
 本当のところ、始めは僕も周りに流されるかのように自分の行きたい学校をなんとなく決め、なんのあてもなく勉強し始めたのかもしれません。そもそも、今まで何もしていなかった僕が大学に進学するなんて不可能なのではないかとさえ思っていました。しかし、担任の先生や周りの先生の言うことを真剣に受け止め、今の自分の最も有効な受験への対策を先生方にアドバイスしていただいたおかげで、順調に受験勉強は軌道に乗り始め、今まで外部模試でも全国最低の点数しか取っていなかった僕でも、5月頃にはそれなりに点数を取ることが出来るようになりました。
 夏休みになってからは、担任の先生のアドバイスにのっとって、自分の志望校である関西大学部の文系全学部の赤本をひらたすら解きました。今思うと、夏休みに赤本を解いたことで、英語は試験本番前にはある程度得意科目といえるレベルにまで上げることができたんだなあと思います。
 それと、もう一つの合格の大きな要因は、学校の授業に真面目に取り組むようにしたことだと思います。やはり、高2の3学期までは何もしていなかった僕は、一分一秒も無駄にせず、授業から吸収するのが当然だと思いました。また、この学校の先生方の授業はとても分かりやすく、国公立大学への進学を目指す授業ですからやはりハイレベルで、それを受講しているということは、大きな自信になりました。
 そして、本番でも多少の緊張はありましたが、今までやってきたこと、そして学校の先生の言葉をはげみにして臨んだ結果、合格することができました。 最後になりましたが、学校の先生方には感謝してもしきれないほどに感謝しています。そして拙い文章ですが、この文章が、これを読んで下さった方の励みに少しでもなれば幸いです。
 
 
平成18年卒業生 女子 お茶の水女子大学文教育学部(推薦)

 私には、金蘭千里の六年間の生活を振り返って大変良かったと思う点と、反省しなければならない点がそれぞれ二つあります。
 まず、良かった点の一つ目は、沢山本を読んだ事です。もともと読書は好きだったので、六年間、特に受験に取り掛かる前の中二から高二にかけて読めるだけの本を読みました。この体験は直接的にではないかもしれませんが受験にも役立ちましたし、それ以上にさまざまな知識を増やし自分の内面を豊かにする点等で、受験を越えた、自分の人生においても有意義であったと思います。二つ目は、何だかんだ言いつつ金蘭千里を満喫した事です。私はキャンプファイヤー委員や合唱祭運営委員その他様々な委員として活動しました。学校の立場と生徒の立場の間で葛藤したり、上手くいかなくて悩んだりしましたがその中で出来るだけ楽しいものが作れるよう努力しました。その様に何か決められた枠組みの中で創造的な事をする事は将来社会においても求められる事かもしれません。また、楽しむ努力をする事で、楽しい事はより楽しく、一見楽しくなく見えるものでも楽しくなるという事を知りました。この学校は確かに行事があまり多くなく、時には狭苦しさを感じる事もあるとは思いますが、それに不満を漏らす前に、数少ない行事に積極的に参加する事により、大変楽しい学校生活になると思います。現に私は楽しい六年間を過ごせましたし、結果的にその事が推薦入試での国公立大学合格にもつながったように思われます。
 反対に、反省すべき点の一つ目は、中三から高二にかけてあまり身を入れて勉強しなかった事です。これは中高一貫生の陥りがちなところであると思いますが、高校受験がない分、相当な勉強への意思がないと気が緩みがちになってしまいます。現に私がそうで、気を引き締めるのが高三に入ってからとかなり遅く、勉強不足を大変悔やみました。二つ目は自分と相性の悪い塾に通っていた事です。高一から高二にかけて通っていた某予備校では私は何となく授業を受け勉強をした気になっていただけでした。故に実力はあまりつかず、ただ疲れに行っているだけという感じになっていました。だから高二の途中でその予備校をやめ、自宅学習に切り替え、そちらの方がずっと身についたように思います。それとは反対に、中三から通っていた英語塾とは相性が良く、高三まで通いましたしそれにより学力も上昇しました。学校の勉強だけでは物足りなく感じたり、先生との相性があまり芳しくなかったりという事はもちろんあると思います。そのために塾に通い、力をつける事は良いと思いますが、塾は有効に活用する、という態度であくまでのぞむべきだと思います。また、基本的には二十分テストをはじめとして毎日の学校の勉強をしっかりこなす事が大切であると思います。
 私はたまたま推薦入試で国公立大学に合格する事が出来ましたが、それを目標にしてしまうと、勉強も怠りがちになってしまいますし、もしも受からなかった場合に一般入試への対処が大変なものになってしまいます。ですからあくまで推薦入試は保険のようなものと考え、一般入試への勉強をきちんとしておくべきだと思います。また、大学に入ってからの学力を考えると、推薦入試が受かった時点で勉強をやめてしまう事は得策ではないと思い、慶応を受ける事にしました。受験は長丁場ですが、計画的に、一喜一憂せず、気を緩めずという事が大切だと思います。皆さんも頑張ってください。

 平成17年卒業生 大阪大学工学部

 これから大学受験を迎える在校生のみなさんに私が贈りたい言葉はたくさんありますが、主にふたつのことを挙げたいと思います。ひとつは実際の勉強におけるスタイル。もうひとつはメンタル的な問題です。
 まず前者ですが、金蘭千里の生徒として最も大切にしてもらいたいものがあります。それは、20分テストです。真面目に取り組んでいる科目もあれば、赤点をとらなければいいという低空姿勢の科目もあると思います。私自身中学校のとき、それでもいいと思っていた時期がありました。しかし、ここで今一度20分テストの意義を考え直してください。もはや本校の伝統になりつつあるこのテストは、「普段の授業がどれだけ身についているか確認するための復習テスト」であるはずです。これがあるおかげで、自発的に復習という作業を行えるのです。私がこれだけ復習の大切さを訴えるのには訳があります。これは非常に基本的なことなのですが、「復習をどれだけ行えるか」が入試の合否を分けるラインであると言っても過言ではありません。更に、復習とは「どこまでが正解でどこを間違っているかという、自分の力を認識するためのもの」です。これなくしては、先へは進めないのです。「分からないところをほったらかしにしておいたらだめだ」などということは、耳にたこができるほど聞いたことがあるでしょう。しかし、その言葉の意味は痛みを実感するまで把握できないものです。痛みを味わう前に、是非復習を毎日毎日実践してください。そして、それを促すための20分テストを最大限利用しましょう。こんなことを繰り返していれば、確実に実力がつきます。
 具体的な復習の方法をここでひとつ。テストで間違えた問題は、必ずやり直しをするようにしてください。問題をノートに写すなり、貼るなりしてください。時間をかけて行ったことというのは人間の脳に焼きつきます。また、普段問題を解いていて間違えたときに、何故間違えたかを考えると思います。その過程をノートに書き記すことも大切です。たとえば、公式が抜け落ちていたのならそれを、計算間違いでも具体的にどう間違えたのかを、違う色でノートに書き込むのです。私はこれを高3の初めあたりから行いました。これを寝る前にパラパラとめくるだけでも、同じ間違いを繰り返すは格段に下がります。模試についても、「模試のやり直し専用のノート」を作り、問題をコピーするなりして貼り付けて、失敗した問題を解決するように勧めます。
 また、授業の内容を円滑に頭に入れるための予習は必須です。最低でも、与えられた問題を解いてくることや、文章を読んできてから授業に臨みましょう。授業についていけないのでは、学校に来ている意味がありません。
 以上は、どこでも聞くような単なるお説教にしか思えないかも知れません。しかし、予習復習の重要性を認識する・しないで本当に将来が変わってしまうのです。みなさんが真摯にこういった地道なことを日々行ってくれることを切に願います。
 次は、具体的な科目ごとの勉強の方法です。ここから先は受験に直結する高2、高3の方々にお話したいと思います。まず英語ですが、高2のみなさんは文法を確実にするよう志してください。つまり、 SVOC の把握と修飾関係、および基礎的なイディオムを覚えることで英語の勉強は事足ります。単語に関しては、習ったものを覚えていくだけで十分です。単語の勉強は、学校の指定する単語帳を高2の秋・冬ごろから本格的に始めれば余裕で間に合います。個人的には Z 会が出版する「速読英単語」がお勧めですが、年によって当たり外れがあるのも事実ですから皆さんが選んだものをひとつ完璧にすればよいと思います。高3のみなさんは、文法・イディオムの補強と単語を覚えることだけです。単語をどれだけ覚えているか、あるいは類推力で勝負が決まる大学も多くあります。一つでも多くのイディオムと単語を覚えてください。英作文について、受験英語で最も大切なことは「自分の知っている言葉でしっかり書く」ということです。英語の採点方式として、減点式の大学が多数です。そこへ、変な文法ミスやよく知らない単語をうろ覚えで書いたりすると、他の部分がよくできていてもほとんど点がないという事態に陥ります。ですから、単語や文法のレベルとしては高1までで習ったものあたりを確実に書ければ問題はありません。少なくとも、合格点には達します。
 数学において、普段しなければならないことは問題をちゃんと解いてくることです。言うまでもありませんが、解けない問題は飛ばすしかありません(「解けない問題」の基準は、10分あるいは15分考えても手が出せないことを言います)。しかし、いつまでも「やってません」と言っていてはダメです。ひたすらに与えられたものを解くことです。また、「数学でやるべきこと・覚えるべきこと」をほぼ完全に網羅したテキストが存在します。それは「チャート式」です。たいていの問題の要点は、これに載っています。分からなかった問題の単元のページをめくっていけば、急所が見つかることがしょっちゅうあるのです。つまり、ここに書いてあることを把握すれば受験数学の知識は十分に得られます。私は、「チャート式がテスト範囲」だと思って受験に臨みました。しかし相性というものもありますから、単語帳と同じく自分が手にしたテキストを完全に履修すればよいと思います。ただし、二兎を追う者にならないように注意してください。
 理系の私があまり触れたくない国語ですが、とにかく物事を論理的に考えていけば解答にたどりつくと思います。自分の論法に自信があっても間違えることはありますから、その際はちゃんと整理して先生に何故こう考えて間違っているのかというのを言語化して質問することも大事です。その際にまた、国語力が養われるのですから。古典に関しては、文法書を何度も読んでマスターすることが大事です。そして、古文単語は早いうちから覚えていくといいです。覚えているのと覚えていないのとでは、文章を一読したときの理解度が全然違います。私が単語を覚え始めたのが12月、つまりセンター直前期であり、そのときに「こんなに読めるようになるんだ」と思って後悔した覚えがあります…。
 理科は、理系にとって非常に大事な科目です。最低でも、不得意科目にしてはいけません。なぜなら、理科というのはある一線を越えたらその世界の本質が見える科目です。つまり、得点源になりうるのです。私は物理・化学の選択でしたが、特に物理はその傾向が強いと思われます。公式をしっかり理解し、それを適切な場所で運用するだけで点数がとれるのです。先生方は各々の担当科目について「頑張ればその分だけ点数があがる」と仰いますが、受験生の立場から見て、私は理科にこそその言葉を与えたいと思います(その点、生物は記述論述の要素が入ってくる分不確定要素が高まるという理由でわたしは生物を諦めたのですが…)。理科の勉強で難しいことは特にありません。問題を解き、ミスの理由を考えるという前述のことをただ繰り返すだけです。また、「一線を越える」ためには定義理解が重要です。恐らく皆さんはいずれ物理・化学の「重要問題集」なるテキストを手に入れると思います。この問題集がマスターできればどこの大学でも通用するし、逆にこのレベルがおろそかだと受験自体が危ういです。以下にもありますが、何度も解くことが大切です。三周もすれば、自分の力に確固たる自信が持てるでしょう。
 社会については、自分の適性を考えて選択するしかないと思います。私は世界史を選択しましたが、それは「世界史に昔から興味があったから」という理由です。どうしても適したものが見つからない場合、失礼な言い方になるかも知れませんが倫理を選択するのが手っ取り早いかも知れません。何故なら、圧倒的に倫理の教科書は他に比べて薄いからです。社会というのは覚えたら覚えた分だけ点数が上がる暗記科目の典型ですが、客観的に見てその比例定数が大きいのが倫理です。巷では一ヶ月でできると言われている現代社会という選択肢もありますが、あまり信用しない方がよいと思います。社会科に属している以上たくさん暗記しなければならないことに変わりはないのですから、いずれにせよ本腰を入れて勉強しなければなりません。選ぶとしたら、高2が終わった時点でどれも興味なく、点数もとれないという状況に陥った場合に手をつけてみるべきです。「いざとなったら使える逃げの一手」などと考えられる教科など存在しませんから。
 最後に、受験に向かう上で大切である精神的なお話をしたいと思います。まず、模試の使い方です。大学ごとに合格可能判定が返ってくると思いますが、良かった場合は自分に自信を持ってください。悪かった場合は、その判定を無視してください。判定自体に悩むよりも、実際に解けなかった問題に対処する方が早いです。どちらの場合にせよ、先程も申し上げたように「間違えたところを二度と間違えないようにすること」が大切なのですから。次に、「頑張っているけど全然分からない科目」というものがあると思います。そういう時は、「今は分からなくてもいつか解けるようになる」という展望を持って勉強をしてください。大学入試に関わる教科は全て、慣れで解決することができます。英語の上手な訳し方にしても、数学の解法にしても、慣れれば自然に身につくものです。何度も何度も解いているうちに理解をしてしまうのです。ですから、できないことに悩むもよりも、とりあえず飛ばして先へ進んで、時間をおいてから見直してみてください。勉強時間についての話ですが、人間の集中力というのは60分~90分くらいしか持ちません。長時間勉強する際には、必ず決まった間隔で小休止してください。具体的に言うと、私の場合1時間ごとに音楽を聴きました。1時間数学を解き続けたあとに自分の好きな曲をまるまる1曲聴くと、かなりリフレッシュされます。椅子にずっと座っていると疲れますから、伸びをすることもあるでしょう。しかし、伸びをするよりいっそのことラジオ体操全部やってみるというのはどうでしょうか。血行よくなって、これまた気分が爽快になります。他には、少し食べ物をつまんだりするというのも有効です。一度お試しください。また、(あまり大きな声では言えませんが)授業中眠くなったりボーっとしたりすることがあると思います。そういうときのための対処法を二つ挙げておきます。①授業に集中すること…どこでも聞く話なのですが、以下に具体的に説明することでしっかりとした意識を持つことができると思います。先生の話を、1から10まで理解しようと思って聞いていると、自然と頭がフル稼働されて眠気が晴れます。集中する、というのはそういう意味です。「こんなことは聞かなくても分かってる」と思うのは自惚れの証拠です(実際、私も中学生のときそんな意識を持ったことがありました)。そういう人は、「授業のどこに自分がちゃんと把握していない話が出てくるか分からないから、ちゃんと聞くようにしよう」と心がけてみてはいかがでしょうか。②「勉強しよう」と思うこと…文字通りです。人間というのは、「一度思い込んだらその状態で心が安定する生物」です。「眠くない!」とか「頑張ろう!」とか一旦思ってさえしまえば、それで結構集中力が回復します。そして、センターテストの点数が悪かった場合について述べます。昔から、金蘭千里は「二次で稼ぐ人間」が多い学校です。皆さんなら、もしセンターで悪くても次でいくらでも挽回できるでしょう(もちろんセンターテストの比率が高いところも多々ありますが、そこを志望される方は前もって人よりセンター重視の勉強をしておくことが必須と言えるでしょう。当たり前のことですが、現実にはそれを行わない人がいます。)。
「先輩の声」として私がここに書いていることは、「私はこうやって勉強した」ということです。「頑張ってください」と単なる激励の言葉を贈るよりも、具体的な勉強の仕方や心の有り様を説明したほうがみなさんのお役に立てると思ったからです。どんなに頑張って勉強しているつもりでも、空回りをして全然身にはついていないという方は多くおられます。闇雲に勉強をするのではなく、効率よく行うにはどうしたらよいのか、皆さんがご自身で考えなくてはなりません。その際に、私の言葉を片時でも参考にされることがありましたら幸いであると思います。また、ここで述べていることは勿論私自身が受験の中で我流として培ったものもありますが、諸先生方のお言葉をそのまま拝借しているところが多くあります。最後になりましたが、そういったことをご指導くださった先生方に、この場を借りて感謝の意を申し上げたいと思います。6年間ありがとうございました。

2005年4月1日金曜日

校舎計画のプロセスと「私の思い」


在校生のみなさん、はじめまして。私は平成5年卒業、第26期生の影林督諭(かげばやし まさつぐ)です。

新しい校舎での学校生活は楽しいですか。また、HP(ホームページ)の施設案内に各施設の紹介がされていますので、一度ご覧になってください。

学校の施設紹介から入りましたが、私はこの新校舎を設計・監理させていただいた設計者です。現在、安井建築設計事務所(http://www.yasui-archi.co.jp/)に勤務し、中学・高校・大学などの教育施設を中心に、日本だけでなく海外の学校の設計にも携わっています。平成20年には、現在手がけている学校法人金蘭会学園 金蘭会高等学校・中学校の新校舎も竣工します。それ以外にも、数々の設計デザインコンペに取組み、日々他社との熾烈な競争社会の中で、勝利と敗北を味わっています。

「勝利と敗北」。そうなんです。今回の設計コンペについても、本年7月の「学校だより」に記載しておりますように、辻本校長先生の考えておられた「学校というものがもつ人間関係の縦軸・横軸のつながり」が、私の提案する「空間的ゆとりが生みだす交流」と一致した結果、当社を含む大手3社による設計コンペで勝利し、運良く仕事を頂くことができました。しかし、そこに至るまでそして現在も数々の敗北を経験しています。振り返ると人生常に勝利と敗北が付きまといます。その考え方は人それぞれだと思います。何が、何に、勝利し敗北なのか。

今でも忘れられないのが、この金蘭千里に入学し初めの三教科テストで上位10人の中に選ばれ非常にうれしかったのですが、次のテストでは全く及びもしませんでした。当時、小学校を出る頃の私は成績も上位クラスで、そのまま維持できると自分に甘えていたのかもしれません。ちょっとした気の緩み・努力を怠ったのでしょう。でもそれからは日々成績は下がっていく一方でした。中学ではサッカー部に所属していましたが、ボールを蹴りながら、なぜ成績が上がらないのかずっと悩んで、サッカーにも集中できず、結局高校で退部してしまいました。努力はしているのに・・・なぜ・・・。自分には負けたくない。

決してあきらめませんでした。投げ出したりしませんでした。敗北感を常に味わいましたが、その敗北感は努力を続けているからこそ感じられることなのです。悔しさも人一倍感じました。でもその悔しさをバネに次へつなげる努力をしました。そのあきらめない姿勢を維持すること、その持続力が今の自分の力の源だと信じています。建築設計という仕事は、毎日絶えず考え続ける仕事です。世界で有名な建築家 安藤忠雄先生は次のように話しておられます。「寝ているとき以外は建築のことだけを考えている」と。それは考えるという姿勢を維持する、努力し続けるということに他なりません。

先日、ある一人の在校生と話をしました。高校3年生でしたが、自分の将来・進路について非常に真剣にしかも自分の言葉で分かりやすく説明してくれました。今の勉学内容と自分の将来目指す道が直結していない。直結するようなことをしたいと。直結することをしている友達のことを考えると、自分に焦り、悩んでしまうのだと。でも、そこで私は大いに悩みなさい、焦りなさいと言いました。君の人生はこれからだし、今の焦り、人との遅れなんてたいしたことではないと。その悩み続ける姿勢が必ずよい結果を導き出してくれると。そして今の勉学内容が直結していないことなんてないのだと。英語や歴史なんて必ず、君の進むべき道に必要なんだと言いました。

敗北感はかならず勝利へと導いてくれ、その敗北を味わうことで人は努力し成長し続け、勝利するのだと私は思います。

では、努力し続け完成した新校舎について、その計画プロセスと‘私の思い’を3つお話しします。

1つ目はいかなるプロセスでこの校舎を計画したかです。キーワードは「交流=コミュニケーション」でした。いかにして学校内でのコミュニケーションを生まれやすくするかを考え、それが各階の廊下にある「メディアブース」や、「発表広場」、「光の広場」、職員室の「交流ホール」・「質問コーナー」といったゆとりのある空間を作ることで生徒同士、教師と生徒の交流を生み出しやすくしています。休憩時間などにメディアブースで楽しく話をしている君達を見た時は、結果として非常によかったなと感じています。大いに利用してほしいと思います。


そして2つ目ですが、校舎にはちょっとした「ハレ」の舞台が必要だと考え、外からも中からも見えるガラス張りの大階段を作りました。この学校には佐藤講堂といったすばらしい発表の舞台がありますが、この校舎の中にそうした君達が主役となるような舞台を作っています。また、このガラスは日々努力し成長する自分を映し出す鏡としても機能します。6年後、すばらしく成長した自分をこのガラスに映し、自分を見つめ、卒業式にゆっくりと大階段を下り、大学・社会へと羽ばたいていってほしいと願います。

そして3つ目は、こうした様々な思いをちりばめてできた素晴らしい環境を大切に使いそして、次の世代へ残す役目を君達は担っているということです。先輩は後輩の見本となって指導し、後輩は先輩の良い行いを見習う。そしてこの校舎の良い環境を守ろうという姿勢を維持すること。そうすれば、さらにどきどき・ワクワクする自由な環境となって使われ始めると思います。そのような役目が君達に懸かっているのです。

学校にとって校舎の建替えは一大プロジェクトであり、人生のうちでめぐり合うことさえ難しい・運命的な機会だと思います。その中で、当時偶然にも卒業生であり、大学・大学院で建築を学び、社会に出て3年目に関わることができ、こうして母校の校舎を作ることが出来ました。これまでには多くの年月をかけ、大勢の人たちが緊張感を持続し、力を合わせ支え合い、こうして無事に校舎が出来上がり、君達が毎日生活しています。こういった運命すら感じる出会い・自分の人生・周りの環境、それらすべてに感謝して止みません。

君達にはこれから大学・社会といったすばらしい未来が控えていますが、常に「感謝」の気持を忘れずに、着実に一歩一歩あせらず、ゆっくりと自分の人生を歩んでほしいと思います。

「敗北は最良のチャンスです。再度自分自身を発見し、追求する姿勢を持続する。そうすれば最後には必ず勝利が待っています。」

校舎設計の基本方針

以下に述べるのは校舎設計の基本コンセプト・平面計画・設備計画・各施設計画についてです。

Ⅰ.基本コンセプト

~活発な相互交流を誘発する空間計画~

校舎は、子供の心を元気にする力を持っています。大人が目で見て理解する以上に、全身で感じることのできる時代に、魅力ある空間がいかに子供の心を惹きつけるのかを常に考え、より快適で安全な施設計画を行いました。
同時に、建物の中で繰り広げられる生徒や教職員のいきいきとした活動が内部・外部に浮かび上がり、その背景として建物は存在するべきだとも考えます。
座学だけでなく、さらなる実習学習・体験的学習の強化・拡充を目指し、次世代に向けて発信する学校の精神・特徴を十分に理解し、以下に示す具体的な提案を行いました。

「歴史の継承と環境の調和」を目指します

‘アカデミックかつ凛とした学園全体のイメージとの調和を図り、風格ある新たな表情を生み出すこと'、‘隣接する千里北公園などの周辺環境を最大限享受できる施設構成によって、緑豊かで光と風の溢れる校舎とすること'、‘いままでも・そしてこれからも利用する教師・生徒・卒業生、近隣の住民からも愛され、気持ちよく受け入れられる施設づくり'、を念頭に計画します。

「新たな記憶の場としての‘道場'」となる施設づくり

中・高一貫教育から生まれる徹底した学習・教育環境に相応しい教室群と、教師と生徒、生徒間、教師間のコミュニケーションを尊重した空間を計画するとともに、南面採光の片廊下方式を採用し明るく効率の良い学習環境づくりに努めます。また、情報ネットワークの整備など先端かつ高レベルな学習支援機能に対応可能な施設づくりを目指します。

「長く使われることと低コスト」を融合した施設づくり

内外装材には高耐久かつ維持管理の容易な素材を使用し、高い耐震性を確保しながら、将来の運用や機能変化にも柔軟に対応可能な構成とすると同時に、自然採光・自然換気など自然エネルギーの活用とコントロールによって地球環境負荷やランニングコストの低減に配慮した施設づくりに努めます。

Ⅱ.平面計画

基本的な考え方

  • 動線に行き止まりがなく、移動距離を短くするため、3つの階段を計画
  • 出入り口の段差をなくし、車椅子で全室到達可能とする
  • 交流を生み出し易くする仕掛け「メディアブース」を各階に配置

普通教室ゾーン

  • 南側に配置し、3教室ずつのまとまりとします。教室内に生徒用ロッカーとコート掛けを装備し、最大35人まで収容可とします。

共用廊下ゾーン

  • 東西に走る1本の見通しのよい廊下には2層吹抜けをもつメディアブースが配され、南側からの明るい採光と風通しのよい空間としています。


Ⅲ.設備計画

個別分散型空調方式の採用

  • 部屋単位の個別運転が容易であり、冷暖房切替可能。
  • 冬季には窓際下部から足元の寒気を吸引し、暖かい空気を足元に誘引することで、室内の温度分布を一定に保ちます。
  • 廊下・メディアブースにも局所的冷暖房を備えます。

自然蒸発式加湿対応の採用(暖房時)

各階廊下に冷水機設置

省エネ対応の電気設備

  • 高効率の照明器具を使用し、トイレなどは人感センターを採用。

各エリアに情報ネットワーク・LAN配線を装備



Ⅳ.各施設について

環境問題に細心の注意を払い、シックスクールに対応

  • 原因物質を極力含まない素材を採用し、全教室においてMSDS(建材安全データシート)にてチェックを行い、全教室数値はクリアしています。

天然素材の多用

  • 廊下の床材や掲示板などに、環境に厳しいドイツ製の天然リノリウム素材を採用。
  • メディアブースや図書館・進路指導室などに天然の北欧製家具を採用。

安全性を十分に考慮したガラスを使用

  • 強化ガラス、15mm厚、8mm厚のガラスを適材適所に使用し、万が一破損した場合でも破片による事故を防止するために、飛散防止フィルムを貼るなどの対応をしています。

建築基準法をクリアする高さ1200mmの手すりを各廊下、屋外テラスに設置